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穏やかな批評とは ―「あら捜しの否定」―

要旨
現在、ペン回しに関する批評がSNS上で活発に行われている。しかし、批評の内容によっては批評者自身の評価を変えてしまうこともある。また、SNS上における批評は、SNSの特性上、内容や仕方などによって、被批評者だけでなく第三者にも影響を及ぼす。さらなるペン回しの発展、飛躍のためにも批評をしやすい雰囲気を作り上げることが重要である。そのためにも、「あら捜しの否定」を用いた批評などが重要となる。自分の批評の様式を改善したいと思う人は、「あら捜しの否定」を用いた批評を参考にしてほしい。

―「率直なご意見を伺いたいとか、きびしくご批評下さいと言いながら、内心ではただ称讃のことばだけを待っている。…率直に批評した者が、それによって憎まれなくとも、より多く愛されることは、まずありますまい。」―ハイネ『シュタイン宛書簡』より
 
<はじめに>

突然だが、あなたはある議題について話し合いをするとき、どのような人となら話し合いたいと思うだろうか。

近頃、スピナー同士によるペン回し議論やFSなどについてのアドバイスなど(以下、批評とする)が行われている。

旧JEBと違ってSNS上で、特にTwitter上でそのような批評が頻繁に見られ、今ではペン回し界に非常に良い雰囲気が出来上がりつつある。

批評を行いやすいということは、それだけペン回しに対して情熱を注いでいる人や真面目に考えている人が多く、その意見を発表し議論しやすい環境であると言える。

しかし、残念ながら口は災いの元でもあり、特に議論中だとたとえ親しい中であってもちょっとした言い方ひとつで、意図しない意味で捉えられてしまう、相手を傷つけたり怒らせたりして、争いになってしまうなどということが起こり得る。

そうなってしまうと、相手に対する信用を失ってしまい、最悪の場合今まで築き上げてきた関係が壊れてしまう。

それだけではなく、極端な例ではあるが、SNS上の争いにより批評をしにくい空気になってしまい、築き上げってきた批評しやすい雰囲気も台無しになってしまうことにもつながる。

かくいう私もそのような経験があり、そのたびに猛省を繰り返している。

どのような批評であれば、このようなことになるのを未然に防ぐことができるのであろうか。

また、そのようなことがSNSというある意味パブリックな場で起きてしまうと、過激な議論を望まない人は意見を発表するのを躊躇してしまう。

個人の実力を上げるだけではなく、ペン回し界も発展させるためにもより批評をしやすい環境づくりは非常に重要だ。

では、どのような批評であれば、今までの良い雰囲気を崩さずに行えるのであろうか。

ここでは現在の兆候を調べるために、初めに最近行われた批評を例に現状を確認し、その問題点と改善方法を考察していく。

<使用する語句の定義について>

本題に入る前に、本項で使用する語句のここでの定義をする。

 ・スピナー:いわゆるソニガチャではないような、一般的なFSが組める程度の実力をもつスピナー

 ⇒初心者スピナー:FSは組めないが、ある程度のコンボや技ができるスピナー

 ⇒上級スピナー:CVや大会などに出たことのあるスピナー

 ・ペン回し議論:ペン回しに関する話し合いのこと
  例:CV,スタイル,企画

 ・FS批評:ある人のFSやコンボについての批評,改善点や良かった点を挙げて相手を評価すること

 ・SNS、Twitter:公共の場であり、非公開設定にしてなければ議論や批評の内容を第三者にも見られることのある場

<現状確認>

次に、今の批評の仕方がどのようなものかを確認する。

私が把握してるなかで最近行われたもの、「#いいねした人のペン回しについて感想」を例に挙げて調べていこう。

これを行っている人は幅広く、いわゆるJapEnや超有名CVに出場経験を持つスピナーから初心者スピナーまで気軽に評価し合っているのが見受けられる。

そしてその内容だが、総合的に見ると非常に興味深いことが判明した。

それは、上級スピナーがスピナーに対して、またはスピナーが初心者スピナーに対して批評をするとき、―文字数の関係もあるが―ほとんどが「改善点のみ」であるということだ。

つまり、上手い人が批評を求めた人に対して、ただ悪いところ羅列してそこが改善点であるとしか指摘していないのである。

中にはその文体や言葉遣いが荒い人もいた。

しかし、それらが悪いことだと一概には言えないだろう。

たしかに、欠点を指摘する方が批評はしやすいく、身内や知り合い同士なら多少の粗暴な言葉遣いは一種の社会的コミュニケーションになつ。

また、その人の通常の文体との差にもよって捉え方も人それぞれ変化する。

しかしながら、ネット上でのコミュニケーションは、相手の表情や口調、態度、仕草などが見えることはほとんどない。

そのため、<はじめに>でも述べた通り、意図しない意味でその批評が伝わる可能性がある。

さらに、いくら的を射ている批評であっても、不快な思いをさせられたら、相手がそれに従うことは―従うか否かの自由の利く趣味の世界では―まずありえないであろう。

そして、Twitter上ではその内容を他の人も見ることができるので、もし乱暴な文体が続いているのであれば、第三者はアドバイスしてる人対して畏怖や不信感やを抱き、批評者の知らない間に自身の評価が下がっている可能性も否めない。

それらが頻発してしまうと、ペン回し界の雰囲気がギスギスしたものになってしまい、充分な話し合いをしづらくなり、言いたいことも言えない窮屈な界隈に感じるようになってしまうであろう。

<アドバイスと「上から目線」>

では、どのように批評をしたらいいだろうか。

仮に、相手からFS批評を求められたとしよう。

しかし、そのFSは、その人が十分にできてないような技を多く取り入れたためか、全体的にぎこちなさを感じるようなもので、創意工夫、熱意などは見られるものの、ところどころに突っかかりや円軌道の乱れを見ることができるものである。

また、一番主張したいものは「全体的なぎこちなさを感じる」である。

先ほど挙げた、Twitter上で行われたものを基盤に考えると、極端ではあるが以下のような内容が考えられる。

①:言われた通りに悪いところのみ指摘する:「FSの内容が詰め込みすぎである。また、○○の突っかかりが目立っている。××が見栄え悪い。全体的なぎこちなさを感じるので、できないような技を取り入れるのはやめた方がよい。」

あなたはこれを見たとき、どう感じるであろうか。

少なくとも、この人に対しては好印象を抱きにくいのではないだろうか。

指摘の仕方が上から目線で、必要以上に威圧的であり、相手の創意工夫を凝らして作り上げたものをけん制しているように感じる。

つまり、もしあなたがこのアドバイスを見てよい感情を抱かなかったのなら、これは以下のことを意味するのである。

それは、「アドバイスの仕方次第では、第二者だけでなく、第三者にも良い感情にさせることはない」ということだ。

それでは、次の例ではどうだろう。

②悪いところを指摘しつつ改善方法を提示する:「FSの内容が詰め込みすぎなので、より簡単な技を取り入れてみるべき。○○が突っかかっているのでもう少し練習してみてはどうだろう。××が見栄えが悪いのでこの角度で回してみるといいかもしれない。全体的にぎこちなさを感じるので、できない技よりも自分ができるものを積極的に取り入れると良くなるだろう。」

②は①よりも威圧的でなく、相手をフォローしつつもアドバイスをしている点で異なっている。

しかし、それでも「上から目線」であるのは変わりない。

①よりも気持ちよく受け入れることは可能であるが、それでも腑に落ちないところがあるのではないだろうか。

たしかに、「アドバイス」は、できない人ができる人に対してするものではない。

そして、実力至上主義の社会では、実力のある人はない人よりも立場的に上であることが事実である。

そのため、アドバイス及び批評という行為においては、実力がない人にとっての「できてないもの」を、実力がある人が「できる」ため立場が上になる。

そして、実力がある人は、ない人に対して「できてないもの」を指摘し、どうしても「上から目線」でものを言うしかないのである。

周知の事実であると思うが、ペン回し界も例外なく、実力至上主義社会だ。

つまり、ペン回し界でも、アドバイスできるような実力を持っている人は、できない人に対して無意識に優越感を持った状態、「上から目線」でアドバイスをする傾向にあるのである。

<「あら捜しの否定」>

このような「上から目線」感を緩和し、より雰囲気の良い批評には、どうすればよいのだろうか。

ここで私は、相手の良いところをあら捜し―「あら捜しの否定」としよう―を提案する。

「あら捜し」の本来の意味とは、「他人の欠点や過失を、ことさらにさがし出すこと。(『デジタル大辞泉』より引用)」である。

そしてその否定、「他人の欠点や過失を、ことさらにさがし出さない。」つまり、「必要以上」に悪いところを見つけないということである。

本項においては「必要以上に」が後ほど重要なカギとなる。

同時に、批評の意味も改めて確認しておこう。

批評とは「物事の是非・善悪・正邪などを指摘して、自分の評価を述べること。(『デジタル大辞泉』より引用」、つまり、長所も短所も含めて評価をすることである。

これらを踏まえて①を見ると、あら捜しのみに基づいて見つけた部分のみの指摘をしているのがわかる。

つまり、欠点しか指摘していないため、これは「批評」ではなく「非難」でしかないのである。

②はどうだろうか。

改善点を挙げてはいるが、①と同様に欠点しか指摘していないため「非難」とまではいかないものの「批評」とも言えない。

ここで「あら捜しの否定」を取り入れてみるとしよう。

先ほど述べた通り、「あら捜しの否定」は欠点を「必要以上」に探さないということである。

そのため、「あら捜しの否定」を取り入れた批評をする場合、細かい欠点を指摘することはしてはいけない。

そうすると以下のような批評になるだろう。

③「あら捜しの否定」:「全体的なぎこちなさを感じる。」

大まかな欠点を挙げただけでは「批評」にはならないので、「批評」するためにも良い点を数個を追加してみる。

④ ③+長所:「全体的なぎこちなさがあるが、創意工夫を感じる。また、熱意を大いに感じられるようなFSだった。」

さらにここから②のような改善案を加える。

⑤ ④+②:「全体的なぎこちなさがあるが、創意工夫を感じる。できない技よりも自分ができるものを積極的に取り入れると良くなるだろう。しかし、熱意を大いに感じられるようなFSであった。」

このようなアドバイスを受けた場合、あなたはどう感じるだろうか。

また、第三者視点で見た場合、批評者に対してどのような印象を受けるだろうか。

①と⑤を見ればその違いは一目瞭然、⑤の方が好印象である。

この「あら捜しの否定」+長所数個+改善点だけで、こんなにも印象が違ってくるのである。

さらに、最後に励ましの言葉(「頑張ってほしい」ではなく「一緒に頑張ろう。」などの同格の立場でのもの)を入れることができれば、「上から目線」はほとんど消えるであろう。

まとめ

以上のように、周囲の人があまり不快感を抱かないようなアドバイスを推奨したわけだが、①も場合によっては望ましいものかもしれない。

自分自身にストイックな人は、ダイレクトで厳しい指摘の方がモチベーションが上がり自分の技術躍進になると感じる人もいるであろう。

同様に、⑤も全ての人にとってそれが良いかと言われれば断定はできない。

欠点を直接的に指摘されないことで、その点に気が付かず、場合によってはおごり高ぶる人も存在する。

しかし、少なくともペン回しを趣味で楽しくやってる人にとっては、②や⑤のような批評を求める人の方が多いであろう。

そのような人に①の批評をすると、精神的に傷ついてしまい、その人のペン回しに対する熱意も冷めてしまうだけでなく、もしも批評者が被批評者の尊敬すべき存在または憧れの対象であった場合、被批評者は批評者に失望してしまうこともある。

<初めに>や<現状確認>でも述べたように、批評が行われるのはTwitterなどのSNS上が多い。

そのため、批評次第では第三者にも良い意味でも、悪い意味でも刺激―⑤のように好印象を抱く、①のように失望するなど―になることを忘れないでほしい。

今後、ペン回しのさらなる発展を望むためにも、できるだけ多くの人に自分の批評の仕方を見つめ直してほしい。

そして、もし自分の批評を改善したい場合、③~⑤の「あら捜しの否定」に長所と改善点を加える手順を参考にしてほしい。

最後になるが、今回このような主張の場を設けてくださったPen Spinning Memorandum 2017運営の皆様には心より感謝申し上げる。
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